理容師新人ブロガーのHIROです!!
今回は珍々亭油そば発祥の店珍々亭について紹介して行きたいと思います。
僕はラーメンが大好きです。
やっぱり無性に食べたくなる時ってありますよね?!
そんな時に頭を過る店って誰しも有ると思うんですけど。
今回は、武蔵境駅の*珍々亭の油そば*にスポットを当てて行きたいと思います!!
と言う事で今回は珍々亭油そば発祥の店について紹介して行きたいと思います。
目次
珍々亭油そば発祥の店について紹介
【1952年(昭和28年)に創業した国立市の一橋大学そばの「三幸」が、のびたラーメンをヒントに昭和30年代前半頃から酒の肴として提供を開始したとする説や、同じく昭和30年代に武蔵野市境の亜細亜大学そばの「珍々亭」が中国の拌麺をヒントに油そばを発売したという2説が存在している。いずれにしても、東京都武蔵野地区から他地域に広がっていった】
とのことです。
私の聴いた「珍々亭油そば」の誕生秘話
珍々亭の並びに雀荘が有り、そこには亜細亜大学の学生さんが良く利用していたらしく。
それ以外にも他の大学の学生や社会人も利用して居たらしいのですが。
徹マンが日中に突入すると決まって珍々亭のラーメンを出前させて食べていたお客様は割といたらしいのですが、、、
その人達は麻雀に集中する余りいつも伸びきったラーメンを食べていたらしいのです、、、
ある時、その中の誰かさんが珍々亭の店の人に「伸びないラーメンを作って欲しい!!」
と頼んだと言うのが私の聴いた「珍々亭油そば」の誕生秘話です。
私のネタ元は、学生の時分に成蹊大学に通い、「その雀荘に良く行っていた。」
と言う方の情報です。
裏ソバ?!表ソバ?!
ここで早くも余談ですが、、、
珍々亭を表ソバとすれば、、、
裏ソバと言うのが存在するのを皆さん知っていますでしょうか?!
それは本当に珍々亭と同じブロックの真ん真裏にある同じく亜細亜大学生に愛される。
隠れた名店*丸善*さんです。
亜細亜大学にも体育会系の部活が有って全国的にも強いのは皆さんもご存知の事でしょう。
そして私の聞いた所バレーボール部の学生さん達は珍々亭に代々良く行き、、、
それを珍々亭さんはお得意さんとして代々可愛がり、、、
野球部の学生さん達は*丸善*さんに代々良く行き、、、
その野球部の学生さん達を*丸善*さんはお得意さんとして代々可愛がる。
と言う構図が代々出来ていたようです。
そして学生さん達はこの*裏ソバ、表ソバ*と言うのを隠語の様に使っていたそうです。
それは勿論悪気は無く
「今日、どうする」
「表ソバにする?!」
「きょうは裏にしねぇ?!」
的なノリで使っていたらしいにのですが、、、
ある日の事
バレーボール部の学生さん達が「いつも*表ソバ*に行ってるから今日は*裏ソバ*行かねえ?!」って事に成ったそうです。
そして*丸善*さんで食べ終わり何気無くバレーボール部の学生さん達の誰かが、、、
「やっぱり俺は表が好きかな~?!」と言う会話にバレーボール部の学生さん達の皆が意気投合してしまって盛り上がってしまったそうです。
これを聞いていた店主は「うちは裏じゃねぇー!!」と激怒したそうです。
その後バレーボール部の学生さん達が出禁に成ったか、バツが悪くなって行けなく成ってしまったか、、、
私の記憶は定かではありませんが、私もこの*丸善*さんに二度程行った事が有ります。
油そばを食べましたが正直いって味は*丸善*さんの方が好きでした!!
只、量が私には物足りなかったです、大盛にしたのですが、、、
麺はスタンダードなちじれ麺で美味しかったですが大食漢な私には総合点で*珍々亭の油そば*に軍配が上がりました。
*丸善*さんごめんなさい、、、
油そばの”メッカ”
油そばの”メッカ”と言うのが当時から東小金井、武蔵境と呼ばれていました。
そして私が90年代後半当時、油そばの元祖と聴いていたのが珍珍亭であります。
その後に続く様に、かなり早い時期に油そばをはじめたお店と言うのが。
宝華、酒道場(立ち退きと共に閉店)であったと私は地元民の方々に教えられてそう認識して居りました。
そして、一平ソバ、のんき亭(店主体調不良の為閉店)と続きます。
この珍珍亭の一番人気メニューと言うのがもう言うまでもございません。
「油そば」でございます。
私が珍々亭で油そばしか食べていない理由
私はこの店で他のメニューを食べた事が有りません。
何故なら三つの理由が有ります。
①アクセスが悪く行きにくい。
②営業時間が短い(11:00~16:00麺がなくなり次第、閉店)
③他のメニューを食べた後に後悔したくない。
という理由です。
食べ方のコツ
ここで食べ方のコツを披露致します。
特にルールはございません。
しかし、当時私が亜細亜大学のバレーボール部の関係者の学生さんから聞いた先輩方から代々うけ継いでいる食べ方と言うのがあって。
「ラー油一回し」「お酢二回し」「胡椒たっぷり」と言うものでした。
当初私もその掟に従い、五郎丸選手のルーティーンが如く。
「美味しくなぁーれ!」の御呪いを掛けるかの如く。
どこの店の油そばを食べる時も必ずと言って良いほど真面目にこれをやっておりました。
最近の私はと言うと、、、
①先ずはデフォルトで食べるべし。
②味変したく成って来たら胡椒を少しずつ足していくべし。
以上!!と至ってシンプル。
やはり元々美味しい物なのでやりすぎるとアイデンティティが無くなってしまうと思うのです。
食に対するちょっとした私の分析
そして日本人の気質かもしれないのですが、、、
日本の料理人さんって、ジャストに味を寄せていく傾向が有るのでは無いかと私は思うのですよ、、、濃かれ薄かれ。
そうそうそう、だから海外の料理と比べると特に欧米とかハワイなんかに行った時に思うのは、、、
素材だけの味しか殆どしなくて「後は自分の好きな味に仕上げてね!!」
と言わんばかりにテーブルには沢山の調味料が並んでいる光景を良く目にしますよね~?!
国土が広くて、肌の色が違くて、宗教も生活様式の違う国の食文化はそのようにしていて。
”日本の味付けはジャスト文化”
それに比べて”欧米・ハワイはセルフカスタマイズの文化”
だと私は思います。
経路と住所と電話番号
経路
JR中央線の武蔵境駅の北口を出て メインのスキップ通りを北に進み 亜細亜大学通り(北大通り)を左折してそのまま西に直進 亜細亜大学の正門を通り過ぎ最初の信号(右に後藤商店)を左折して 登った右手にある 1957年(昭和32年)創業
住所と電話番号
東京都武蔵野市境5-17-21
0422-51-2041
まとめ
今回は珍々亭油そば発祥の店について紹介して参りました。
当初私は”武蔵境駅おすすめおいしいラーメンランキングベスト3”
という内容で記事を書き始めた訳ですが、、、当時の記憶が甦り。
結局珍珍亭だけで一記事書けてしまいましたのでこのタイトルに変えました。
最近の方が頻繁に珍々亭に行っておりますがやはり油そばは珍々亭が一番好きです。
と言う事で今回は珍々亭油そば発祥の店について紹介して参りました。
最後までご観覧頂き誠にありがとうございました!!
「油そば」と言えばいまや全国区です。
1997年、私が小金井市に移り住み始めた当時。
まだまだ全国チェーンのお店も油そばの知名度も殆ど無く。
知る人ぞ知る食べ物でありました。
油そばの誕生秘話
wikipediaによる油そばの誕生秘話